政治の否定・政治の創造ー現代政治への関わり方

哲学者内山節さんの基調講演 ネット新春の集い

東京・生活者ネットワークの08年新春の集いが開かれた。
今回の基調講演は1950年生まれの哲学者 内山節さん。
1970年代に入った頃から、東京と群馬県の山村・上野村に居を据え、自然とともにある生活、共同体の生活に根ざした実体を伴なった言葉を発しておられる。

話は自治機能を失ってしまった現代社会、とくに使い捨て、交換可能な個人の溢れる都市部の荒廃についてでかなり重い内容だった。やさしく悲しく淡々とした語り口だが人をひきつけ、虚しさ、絶望よりむしろ元気がもらえた。私たちの嗅覚は少しは働いていることがわかったから。

現代社会を席巻している民主主義という「量」による政治の不透明さ、不確実さ、不公正さを指摘し、民主主義を「権力に合法性を与えるしくみ」と表現され、代表民主主義に替わる政治が必要だと力説された。

明治以降の市町村制がそもそも地域共同体の自治を阻害し、選挙制度で選ばれた為政者たちは何故己が権力をもつことを許されたのか人々に納得させるための説明をしなくても己の権力に合法性を与えられてしまう。この権力が暴走しているのが現在の日本の政治状況だと。

特に自治が崩れている都市社会では、個々人はばらばらで関係性も弱い。いきおい人々の政治への参加・意思表明は投票行動だけになりがちだ。これとて有権者は候補者や政策のすべてに賛成して投票したわけではないのだが、毎日の生活を自己防衛するのに必死で、白紙委任にもなるし、無関心にもならざるを得ないというわけだ。

環境問題が示すとおり、このまま空虚な近代社会が進化だけを妄想し、暴走し、勝者だけにしか光を当てず、個人から精神が抜き取られ、弱体化すれば持続可能な社会などありえないことを認識すべきで、いずれ人間社会は滅んでしまう。より荒廃した社会になるのをどう食い止められるのか。

都会で人々は自分の存在が実感できる場所を求めてさまよっている。しかし脈々と流れる時空の中に何故自分が生きているのか、その答えはバーチャルな世界では得ることができない。自然の中で自分がその一部として生かされていると感じることのできる里山を、ローカルな世界をそれぞれが地域に持つことが重要な意味をもっている。
自然や共同体とのかかわりの極めて少ない、ばらばらな人間中心の都会でいかにそれを獲得できるのか。
都会の巨大化した地域に暮らす情報の共有も参加や関係の実感もない人々にとって、むしろテーマごとの市民活動的な結びつきを多元的に、重層的にもやい直し、権力をチェックすることが、矛盾に満ちた現代政治を解体し新しい社会の形成に役立つのではないかと結ばれた。

政治の質が問われている。

下の写真は今年狛江の地域力・市民力としてご紹介させていただいた水辺の楽校の市民事務局長の竹本久志さん。