憲法と私たちの暮らし・・・私たちに問われていること 

2006年3月6日 02時29分 | カテゴリー: 平和・憲法

憲法って何?憲法が変わるとどうなる?

 上記のタイトルは4日の午後「狛江九条の会」が主催した講演会の演題です。この演題でお話くださったのは法学館伊藤塾塾長の伊藤真さんです。
 制度を改正することで国民ひとり一人にとって今と何が変わるのかをしっかり理解してほしいという伊藤さんの最初の指摘は素直にうなづけました。
 
 狛江・生活者ネットワークでもまず国民である私たちひとり一人が憲法を改めて知ることが大切と、昨年年頭から憲法学習会を開き、自分の生活に引き寄せて、一条ずつ紐解こうと努力しています。それは自由民主党が新憲法草案を発表したことで、ますます強い危機感となっています。

 しかし私たちを含め大多数の人は日常的に憲法のことを深く考えません。それは伊藤さんご自身も(これはご本人がおっしゃったのですが)20代の初めまではそうだったと。例えば日本人であり、元気で毎日の暮らしにそれほど困らず、差別的な扱いも受けていない強者であり、多数派に帰属しているからだと。基地の集中している沖縄の現実を知り、憲法にイマジネーションを働かせることが出来るようになったとのこと。

 ですがさらにもっと強い権力を掌握している人たちにとっては、憲法はうっとうしいもの、押し付けられたものになります。自由にイラクに派兵したり、自由にリストラするために憲法を改正したいと考えるのは不思議ではないのですと。

 もともと憲法は権力を制限し、弱い立場の人を守るためのもの。だからこそ国家権力に歯止めをかけ、個人の尊重を謳う人権規定が中心で、国民に義務や責務を課す規定がとても少ないのです。(教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務だけ)伊藤真さんは自民党新憲法草案と現憲法を対比させ、自民党が変えようとしている9条など重大な箇所をいくつか取り上げ、私見を述べられました。

 国家の自由を許すことは、国民は今より不自由になるということ。改正が国家権力の歯止めになるのかしっかりと考えなければなりません。改正は誰がどう幸せになるのか考えなければなりませんと。

 狛江・生活者ネットワークでは昨年ジャン・ユンカーマン監督作品の映画「日本国憲法」を上映し、特に前文と9条について考えました。そこに貫かれている平和的生存権及び積極的非暴力平和主義こそが、憎しみや暴力の連鎖から人間を解き放ち、恐怖と欠乏から人間を免れさせるということを再確認しました。戦争を体験された方々には実感をもって、戦後生まれの人たちも、映画に登場するアジアの人々が前文、9条を日本の犯した戦争責任への謝罪として受け取り、憲法にこの条項があるかぎりは日本は再び軍備せず、平和の礎を築くであろうと期待していることを痛いほど感じました。欧米の憲法にも謳われていない「平和的生存権」と「積極的非暴力平和主義」こそ日本国憲法の目玉、独自性なのです。

 5日の朝日新聞日曜版にも報道されていたように、米軍再編でさらに日本の後方支援が強化され、米軍の輸送や警備が日常化すると心配されています。アメリカの軍事戦略に使われるだけではないかと。アメリカの軍隊は9.11のテロから国民を守ることが出来ませんでした。憲法は理想、しかし前文、9条は現実路線だと伊藤さんは言い切ります。生活者ネットワークも人間の安全保障こそが平和をもたらすと考えています。憲法を改正して自衛軍にして誰が得をするのか、何が出来るのか国民自身が考えることが今求められている、ひとり一人がイマジネーションを働かせて真摯に考えてほしいと伊藤さんは参加者に問い掛けました。