戦後62年 夏が過ぎ行く前に

私たちにできることは・・・

今年はどの人もとても不安な気持ちで夏を迎えたのではないでしょうか。
1昨年末国民がしっかり考え議論する前に、安倍内閣によって教育基本法が改正され、靖国の国営化論が出、昨年は9条改憲だけのためとも思える国民投票法が制定され、防衛庁が省に昇格しと軍国主義国家への道が着々と用意されつつあるからです。国民もだんまりを決め込むことはできないところにきているのではないでしょうか。(写真右上 8月5日(日)こまえ平和フェスタ “命(ぬち)どぅ 宝” 東京大空襲、沖縄戦などのパネル展示)

それでも毎年核廃絶、紛争をなくすために多くの人たちが祈り、行動を積み重ねています。

この夏観た柴田昌平監督作品の長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」のなかで生き残った者のしぼり出すような、未だに癒えない心の傷、苦しみと悲しみ、友への鎮魂の思いに触れました。
手榴弾を持たされて自決の道を教え込まれていた兵隊や沖縄の女学生たちの最後の叫びは、「お母さん助けて!お父さん助けて!先生助けて!」だったと、すでに80歳に近い生存者の一人が証言しています。「皆やっぱり生きたかったんです。死にたくなかったんです」。自分が生き残ったことへの負い目を引きずって戦後62年も苦しんできた姿がありました。
そして無駄にいのちを奪うだけの戦争を二度と起こしてはいけない、生き残った者こそが未来のいのちを守らなくてはという祈りのような思いが、彼女達の重い口を開かせたことを感じます。
柴田昌平監督は1994年から13年間も彼女達が心の奥底を自ら語るまで待ち続けてこの作品をつくられたそうです。

柴田さんのブログの7月31日付けに目がいきました。小田実さんが亡くなる一ヶ月ほど前のインタビュー記事が紹介されていました。新聞でこの記事をお読みになられた方も多いことでしょう。転記させていただきます。

人生の贈りもの 作家 小田実(75)

——(聞き手)憲法が改正されても、今の日本が軍事大国になるとは考えにくい。

(小田) 戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった。
 ヒトラーだって、議会制民主主義のルールの中で平和的に政権交代したんですよ。私が今一番憂えているのはね、民主主義の理想を説いたワイマール憲法をつぶしてナチ独裁政権ができたときと同じことが、日本でも起きるんじゃないかということです。ヒトラーは憲法改正すらしなかった。ただ「国民と国家の困窮を救う」ために憲法を一時的に「棚上げ」すると議会で決め、再軍備に乗り出した。攻撃用の兵器をつくる意図はない、もっぱら防衛用の兵器に限定し、平和の維持に資するつもりだと言ってね。反ナチの人まで「立派だ」と褒めたんだよ。でも事態はどう変わったか。
 安倍さんは「美しい国」づくりのために改憲が必要だというが、なぜ必要かはきちんと説明しない。彼はなかなかの雄弁家だよ。小泉さんみたいにハッキリ言わないから、みんな、なんとなくそうかなと聞いている。どうなるかわかんないよ。

——(聞き手)憲法9条の平和主義は非現実的とまでいう人もいます

(小田) 自衛隊は解消し、世界を非暴力の世界に変える努力をしなければならないと私がいうと、理想論だ、現実的に考えよう、自衛隊は憲法でちゃんと認めて歯止めをかければよい、自衛のためには軍隊がいるという人が増えている。でも、本当にそれが現実的なのか。
 戦争でいちばんつらかったのは飢えと空襲だった。食糧切符をもらっても現物がない。あと半年戦争が続いたら栄養失調で死んでたよ。今でも日本の食糧自給率は40%。それから空襲。日本は全然抵抗する力がなかった。石油がないから。飛行機も飛ばんよ。日本は「普通の国」じゃないんだよ。そんな国が自衛のためだろうが何だろうが、戦争なんかできますか。
 いまの若い人たちは、この冷厳たる事実を知らんわけや。日本が戦争できるような顔してしゃべってる。理想でもなんでもない、現実でるよ。そこから出発しないと。 (朝日新聞2007年6月28日夕刊より)
(写真左下 同じく平和フェスタでピアノを演奏した崔善愛(チェ・ソンエ)さん ショパンに自分の身の上を重ね、難民の一人として今も紛争は続いている、想像力を!と問いかけた。写真右下沖縄の三線にあわせて)